【歴史に関する雑学】 |
●平家滅亡の理由
現在、大河ドラマ「義経」が放映中で注目を集めている源平合戦ですが、源氏が挙兵したのが1180年、有名な壇ノ浦の戦いが1185年で、わずか五年で平家は滅亡しました。実は、1180年は近畿地方は飢饉のため、深刻な食料不足に陥っていたのです。淀川が干上がった事や、餓死者が4万人もいたとの記述も残っているので、その規模が伺いしれます。当然、平家の軍勢は兵糧不足で士気が上がるわけもなく、連戦連敗で壇ノ浦で滅んだのではないかと言われています。
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●金のシャチホコの秘密
万博の開催のために、21年ぶりに金のシャチホコが地上に降りてきたそうです。そもそもどうしてシャチホコというのでしょうか?
シャチホコは、元々は雨の進入を防ぐために設置された瓦が、目立つ場所にあるために装飾が施されたものと考えられています。ルーツは古く、中国の晋代(西暦200年~300年代)のころに「鴟尾(しび)」と呼ばれ、それが日本へ伝来したものと思われます。
現在の形になったのは、インド文化の影響を受けたと言われています。インドには、魚のような生き物(マカラ)の像を守り神として、門前に置く風習があったため、鴟尾に守り神としての役割を持たせるために、魚形化が進み鯱になったと言われています。さらに、このシャチホコを城郭建築に用いたのは、発掘された遺跡により安土城が最初と言われています。
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●源頼朝の死の謎
源頼朝は、鎌倉幕府の正史に当たると言われる、「吾妻鏡」にて1199年、落馬にて死亡と記載されています。鎌倉幕府が成立してわずか7年、年齢は53歳です。しかし、落馬で死亡という記述は当時の他の文章からは見つからないのです。例えば、近衛家実が記した日記によれば、「飲水の病」で死亡したと記載されています。これは水を欲しがる病気です。頼朝の死後、幕府の実権を握ったのは北条氏です。実際の死亡要因とは別の死因が、正史に記載されたとしたら、なにやら陰謀の匂いがします。
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●罪人として葬られた赤穂浪士
忠臣蔵と言えば、何度もドラマや映画化されたおなじみのストーリーですが、この赤穂浪士は武士として、斬首ではなく切腹を命じられました。しかしながら、この赤穂浪士の戒名には、全て「刃」「剣」という字がつけられています。これは当時、斬首された罪人につけられた戒名です。したがって、切腹した赤穂浪士は罪人として処分された事になるのです。
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●日本で最初のキリスト教徒
戦国時代に伝わったと言われるキリスト教ですが、一番最初の信者は誰でしょうか?それは鹿児島出身の武士アンジロウと言われています。アンジロウは、殺人を犯したため日本を離れマレー半島に逃げました。そこでフランシスコ ザビエルから教えを受け信者となり、ザビエルが渡日した際に通訳として同行したそうです。
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●歌舞伎
歌舞伎の起源は、江戸幕府開府の年である1603年に、出雲の阿国が京都四条で演じた「かぶき踊り」とされています。「かぶき」とは「傾く(かぶく)」という動詞の名詞化で
あり、常識離れの格好や行動をした人を「かぶき者」と呼んだそうです。
阿国という謎の多い女性で出生など詳細が分かっていませんが、阿国は男装してかぶき者に扮する事で、うたや踊りで、官能的な演目を演じたそうです。当時の楽器は、笛、小鼓、大鼓、太鼓のみでした。
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●ウォーターゲート事件
ウォーターゲート事件とは、1972年6月、当時ワシントンのウォーターゲートビルにあった民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けようとして逮捕された犯人が、実は、共和党(ニクソン大統領再選委員会)から金銭を受けていた事をワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者がスクープした事件です。
そして、大統領自身が事件に関与していた事が明らかにされ、2年後に大統領は、米国史上初めて辞任に追い込まれました。
この事件の陰には、両記者に情報を提供していた人物が存在していました。時の成人映画から「ディープスロート」と名付けられ、その後、この言葉は内部告発者を意味するようになりました。そう言えば、Xファイルにも、「ディープスロート」というエピソードがありました。
30年間にわたり秘匿されてきた「ディープスロート」がついに明らかにされました。当時、FBI副長官だったマーク・フェルト氏(91)が情報提供者だったのです。フェルト氏は、1999年に「私なら、もっと効果的にやっていた」と情報提供者である事を否定していたそうです。
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●平安貴族と香の関係
平安時代の貴族は、紫式部の世界のように、一見すると優雅に見えますが、実は、非常に不便な生活をしていた事が分かっています。まず、当時は現在のような入浴の習慣がなく、蒸し風呂でした。裸で蒸し風呂に入ると火傷をするため、専用の服を着て蒸し風呂に入ります。そのため、十分に体を洗う事ができず、あまり衛生状態が良いとは言えません。そこで、自分の匂いを消すために香を利用したそうです。この香が、貴族の習慣として定着しました。香遊びや、香のブレンドなどをして楽しんだそうです。 |